万博との44年ぶりの再会 その八 

 一方の国内館はまず映像ありきで、工夫のしどころはそれをどう見せるかだったのだろう。
 すでに書いたように、くだんの東芝IHI館は巨大なターンテーブルに乗り、九面のスクリーンに映すという仕掛けそのものがまさに「客寄せパンダ」的な工夫そのものであった。富士パビリオンは、浮き輪を束ねたような建物の内面に映像を映し、みどり館は巨大な半球状の天井をスクリーンとすることで絶大な臨場感を作り出し、三菱未来館動く歩道からの鑑賞によって映像を体験させている。といった具合に国内館はほとんどが映像をメインにした展示だった。
 もちろんタイムカプセルを見せる松下館、音響を優先させた鉄鋼館という個性的なパビリオンもあるにはあったけれど。
 そしてそこに押し寄せた多くの観客は映像の内容もさることながら、日々メディアで紹介されたその工夫、いってしまえば見世物的な演出に引き付けられて、長蛇の列を形成したのだった。
 このことの関しては「万博とアヴァンギャルド」の主催者も十分に認識していることを、このイベントの始まりにコメントしていた。そう、つまりこのイベントで上映される映像は、すでに展示映像としての舞台を失ったしまった、記録映像として存在しているのである。
 このブログの書き込みに付けたタイトルとは矛盾するが、このイベントで万博と再会とか、追体験をすることはできない。上演された映像は当時用意されていたすべての工夫を捨象されて、ただ小さな映像、記録としての映像として目の前に映されたのである。(続く)