沖縄叙景 その十六

 そのもしゃもしゃ(失礼)頭の御仁こそ、あの糸満ハリコの作者である赤嶺康浩さんだった。
 そしてツレとともだって、シャッターが開けきらないニャン山の店内に入っていたったのだ。と、その四方を囲む棚には、女子的にいうと「かわいーい」とかの表現となる数多くの糸満ハリコや小さなシーザーが無数に並べられていた。写真を撮ってこなかったのがなんとも無念である。
 この赤嶺さんはいくつかの職業をへて、友人の誘いもありいまのハリコ職人になったのだという。しかしかなりアクティブな方のようで、昨日までは東北の311の被災地に行っていたのだという。だから会えたのはラッキーだったということになる。この店は店舗であり、また一角にはハリコの工房なっている。
 「ニャン山」で検索するとホームページやブログが見つかるはずなので、そこで場所や営業時間がわかる。
 この店でも下の商品を購入。おいくらだったのかは忘れてしまったが、ずいぶんとリーズナブルだったのは確か。あまり長居をしても制作のじゃまになるかと、いろいろと眺めまくるツレを引っ張って、店をあとにした。もちろん、店の場所や「駐車場」を教えてくれた、おじさんに挨拶をして。

糸満ハリコの制作者、赤嶺康浩さん。

★ギムジナーはガジャマルの木に住んでいる妖精(のようなもの)。前の二つはオマケでもらいました。

★こちらはもちろんシーサー。現在ウチの玄関先で、コワイ顔を来客に向けています。