沖縄叙景 その十九

 明日は沖縄の最終日ながら、ただレンターカーを返して空港に行くだけなので、本日が実質的な最後の日。午前中にニャン山、午後に玉泉洞に行って、そのあとに沖縄本島最南端の喜屋武岬(きゃんみさき)に行くことにした、のが間違いのもと。
 最北端の辺戸岬に行ったのだから、その逆もいいかな、と単純に思っていたが、途中で道はクルマ一台がどうにか通れるそれもダート道。しかもあたりは造成地で、ナビがあまりあてにはできない。いったんあきらめつつも、このゾーンから脱出するのもなかなかといった具合に、そんだったら、しっかり目指そうとして、どーにかこーにか、到着。
 そこは辺戸岬とはまったく違い、クルマが十台でいっぱいになるほどの駐車場に、小さな東屋、そして祈念のモニュメントがあるだけ。外に人は一人もいないが、なぜかクルマが二、三台停まっている。
 そう、ここは本島最南端というよりもまず、沖縄戦の際の悲劇の場所なのである。日本軍と行動を共にした多くの民間人がここで最期を遂げている。その詳細についてはここでは書かないし、もちろん書くことはできない。
 ただそのことを告げる碑の文面には違和感がある。多くの命が消えていった断崖には、またその日と同じような波が押し寄せていた。風は強く冷たかった。
 その風に押し戻されるようにして、撤収。またクルマ一台分のダートを行くと、急に前から別のクルマが。公道でブレーキをロックさせたのは生まれて初めての体験だった。