父親との和解後のテーマ

 そしてタルコフスキーは、願望や夢を具現化するというレムの設定をハリーの生成だけに留めず、母親やそして父親と家をも生成させました。
 しかもアンナというおばさんと実在のアンナという名の義母の写真を紛れ込ませることで、クリスの家系を自分のそれとダブらせてもいます。
 もちろん実際の母親は健在で前妻とも別れたばかりで、関係性そのものが似ているといえるのは、父親との関係、しかも年少期のそれということになります。
 このあたりにこの映像作家の一つのテーマともいえる父親の喪失が見てきます。
 「ローラーとバイオリン」の主人公は運転士に父親の面影を求めていて、「僕の村は戦場だった」では、イワンを庇護する兵士たちが父親代わりとなっています。「アンドレイ・ルブリョフ」もルブリュフは鐘を作りえた少年の父親のごとくに彼を抱きしめます。
 こういった父親への回帰が「惑星ソラリス」で一つの終わりを告げます。彼は幸福の中で、アンドレイと名付けた息子を得たからなのかもしれません。
 次の「鏡」は自身を主人公とし、実際に父親に似た俳優を父親役にあてています。ここでタルコフスキーは回帰すべき父親と和解したのでしょう。「鏡」でこそ彼は「惑星ソラリス」では中途半端だった自らの家族像を、ここでやっと昇華させることができたようです。
 ここでもう一つのテーマが浮かび上がります。「惑星ソラリス」にもあった願望の成就、あるいは願いの実現です。そのあたりはまた明日にでも。