本日の新聞から その八

 つまり問題にすべきは、九割の第一原発の所員が逃げ出したことにあるのではなく、逃げ出さなくてはならないようなものの存在にこそあるのだ。
 ここでこれをちゃんと説明しておくと、まず逃げ出したことを非難する言説が存在している。これもまたまっとうな意見のように見える。ただし原則的には、である。
 所員は十分な知見を習得していて、ゆえにその場にいるのである(いちおうここでは一般の作業員ではなく、所員と考えておく)。であるのなら、その場のリスクも十分に認識していたはずだ。それなのに国の絶対的な危機に直面して、その回避に尽力すべき義務がありながらも、その仕事を放り出して安全圏に逃げるとはなんとも卑怯というのである、というのである。
 ここが一般的な事故と異なる点だ。
 火力発電所や鉄工所、あるいは町工場の災害でも周辺住民に影響を与え、公共交通機関も工場の周辺住民と同様、あるいはそれ以上に乗客に対し責任を負っている。しかし、原発はその規模において、はまさに天文学的数字で異なっているのである。
 つまり原発における周辺住民や乗客とは国民すべてであり、しかもその事故は現在だけでなく、未来そのものに関わってくることになる。
 しかし、それでもなお、問題は逃げ出した人の上に存在するわけではないと思う。