本日の新聞から その九

 そしてまた福島第一原発から逃げた人たちを擁護する意見も散見させる。こちら側にはかなり明瞭な意図がいろいろと見え隠れするけれど、面倒くさいので、その点にいちいち言及するのは止めておく。
 そこに残れば何かできたのではないか、との論点もまたあとからオマケとして付いてくるもので、逃げよう、逃げたいという衝動の瞬間にそれが脳裏にポカリと浮かぶか、過ぎ去ってしまうかの刹那に対して、潤沢な時間を理性をしてとやかくいうものではないと思う。
 昨日も書いたように、問題はそのような状況が存在するということにある。
 つまり万全とされたその場が、自然災害でも人為的トラブルでも、あるいは戦禍によっても、まったく万全でないことが明らかにされ、その万全さがいともたやすく崩壊していく過程の中、つまりそれによって国のシステムそのものが壊滅する危険性がある中、なんら有効な方策が手中にないままに、それでも人をそこに留まることを、半端、あるいはすべて強制しなくてはならないような生活のすべ(あえてこういっておく)を、私たちは持つべきではない、という簡単な話。
 そう、たかが選択のすべ、である。その生活のすべは選択できるのだ。