散歩の途中の半世紀前の記憶

 そんなことを思いつつの散歩の帰路、横道をあみだくじ的につたって歩いていくと、目前には軽トラックを改造した魚屋さん。
 そういえばこのお店、この時刻、このあたりでよく見かける。ただ今日は誰もお客がいない。いつもはオバサン連中が井戸端会議の臨時代用施設として、クルマ周辺を活用し、人生の語らいに興じているのだが、本日はそのカケラも漂ってはおらず、心なしか魚屋のおじさんもうかない顔のようだ。
 と、そのへんを確認しつつもクルマの横を通り過ぎようとすると、ひさしく嗅いだことのなかった魚屋独特の匂いが鼻を衝く。同じような匂いはスーパーの鮮魚売れ場にもありそうなのだが、それとはなんというが原初的に違っているのだ。
 ではその原初とは何か、とわからぬままに先を歩く。しばらく行くと右手に保育園がある。お子たちは皆、教室の中で親のお迎えを待っているようだ。そこでふと思い出した。間違っているかもしれないが、あの匂いはやはり軽トラックに魚を満載して、私たちが住んでいた社員寮の前に売りに来ていた魚屋のそれだった。
 もう五十年も前の話だ。私たちが引っ越しをすると聞いて、その魚屋のおじさんは私たち兄妹に小遣いをくれた。魚テツさんといったか、魚カネさんだったか、その名前を知る人はもう誰もいない。