北の想像力への極私的歩み その九

 寿郎社のことを初めて知ったのは、朝日新聞の夕刊一面に連載していた記事だったかもしれない。新・人国記だったか、あるいはニッポン人脈記だったか。これは各都道府県で活動している市井の人々を紹介することで、その「お国柄」を明らかする、という企画かと思うが、それ以前に担当する記者の「柄」が大きく反映していたようだった。
 そこに寿郎社の土肥さんが、札幌で独特の出版活動をしている人物として登場していたのだが、まずは書き手である篠崎弘さんの名前に目が行った。
 篠崎さんは二十代の頃に勤めていたPR会社の時分に、お会いしたことのある記者だったのだ。やはり当時の学芸部に所属していた記者に、企業のパブリシティ活動にかこつけて会っていると、「変なヤツ(私のこと)が来ているから見に来たら」といわれ、「いそがしい、いそがしい」といいながらやって出てきたのが、篠崎さんだった。その後、何度かお会いして、楽しくもくだらない会話に繰り返したのだが、PR会社の仕事につながる話はたぶん一つもしなかった。
 人はいろんな点で少しだけつながっていて、そのつながりがさらに別のつながりにつながっていく。