北の想像力への極私的歩み その12

 だが転職してすぐに時代が動き、編集部門のすべてにワープロ専用機が配布されることになった。それは単機能なのにやたらとでかい据え置き型のオアシスだった。あの時代はワープロといえば富士通のオアシスといった感じだったけれど、ほかの会社だとまたニュアンスが違っていたかな。
 そんなこともあって、生まれて初めて自分が買ったワープロもオアシスで、こちらはノートタイプだけれど、かなり分厚い。そしてすぐに決まった場所の文字が欠けて、そしてすぐに壊れてしまった。なにより内部容量が少なくて、フロッピーにしても使い勝手が悪い。でもこれは設定の問題だったのだろうね。
 と、けなしているけれど、ワープロは自分にとって画期的な道具となる。当然だが漢字が不明確でも勝手に出くるし、文章の挿入や入れ替えもお茶の子さいさい。悪筆で構成力がなく、論理があっちゃこっちゃいく私には、まさに魔法の機械だった。
 ところが今度の会社は拘束時間が長いわりに暇な時間も多い。しかし前の会社のようにあたりさわれのない文を書くという仕事はほとんどなかった。
 な、もんだから、時間を見つけては、オアシス上の砂漠のような画面を眺めつつ、あたりさわりのありそうな文章を書き続けていた。
 だいぶたってから、某地方公共団体が主催する某文学賞に応募して、いまではネット上にその名前さえ見当たらない程度の賞をもらった文章も、そんな日々に卵のようにポッコリと生まれたモノが「原型」となっている。
 でも、その頃書いた駄文の多くは、けっきょく本人にすら再読されることもなく、どこかの引き出しに埋もれたフロッピーの中で、朽ちていくのだった。