宇宙博に行ってきた。その八

 さすがにマーキュリー計画の記憶はない。自分のまわりではなく、世の中の出来事は基本的には先生の話とかテレビのニュースで知ることになるが、その後、半世紀も記憶に残っているような事項は、そう多くはないし、憶えていると思っていても、後から知ったことである可能性もある。
 さてそのマーキュリー計画アメリカ最初の有人飛行プロジェクトで、最初の人工衛星ともどもソビエトに先を越されてしまったアメリカとしては、一分でも早くことを成したかったというわけ。
 で、まずはV2号の改良版みたいなレッドストーンロケットに、直径がはみ出して見えるマーキュリー宇宙船を載せて、見事弾道飛行に成功(二度目の着水ではトラブってカプセルを深海に沈めてしまったけど)。これが1961年のこと。
 そしていよいよ翌年の1962年には有人周回軌道への挑戦に、まさに打って出る。それに最初に乗り込んだのが、かのジョン・グレン飛行士。のちに上院議員になり、やがて最年長記録でスペースシャトルの乗り込む、あの御仁である。
 そういったライトスタッフたちの仕事場がこの中なのである。しかしその狭さといったら想像以上。
 もちろんリプリカだけどその搬入口、じゃなくて乗り込み口、つまりハッチを取った部分から内部を見ることができた。飛行士の要望によって想定していなかった窓が作られたが、それはここの上部にあって、このガラス部分の二回りか三回りほど小さい。
 まあ、とにかくそういった希望が通ったので、彼らは最初に宇宙から宇宙と地球を見たアメリカ人たちとなった、ということになる。しかしあれだけ苦労して宇宙に出ていき、なんにも見てこなかったなんてことになったら、あまりにもかわいそうだよね。

★下に太ももを当てるU字状の溝があるので、そのあたりからがシートのはずだけど、足の付け根がくる部分に操縦レバー状のものが生えている。なにかいろいろと大変だったような気がするぞ。

★またまたピンボケですみません。人の大きさから、カプセルの小ささがわかります。