宇宙博に行ってきた。その十

 昨日のジェミニの話の続きだけど、あと二つだけ、このジェミニ計画で達成すべきことがあった。それが月までの飛行を想定した長期間の宇宙滞在と、当時は宇宙遊泳といわれた船外活動だ。
 ジェミニ宇宙船の有人飛行は1965年と1966年にそれぞれ六回行われ、多くは一日か数日のフライトだったが、ジェミニ7号だけは14日間も飛び続ける。それはただ長時間宇宙にいることが主な目的だった。その時間を過ごす空間は、写真の椅子を見るとわかるように、ハッチの中にただ組み込まれるだけといったふう。これってキツイよね。
 ちなみにこの月までの模擬飛行に乗っていた一人は、月周回を最初に果たしたアポロ8号の船長フランク・ボーマンで、彼の名前は『2001年宇宙の旅』に登場するディスカバリー号の乗組員、ディビット・ボーマンとフランク・プールの元になったという話もあるけど、真偽のほどはさてどうでしょう。
 そしてもう一人がジム・ラベル、彼はのちにアポロ13号の船長としてあの大事故に遭遇する。映画ではトム・ハンクスが演じていた。つまり二人とも月を回って帰ってきたけれど、着陸はできなかった船長ということになる。
 と、話はジェミニではなくアポロに飛んでしまったが、ジェミニのもう残りの一つ使命は、4号のエド・ホワイトによって実現された。すでにソビエトのレオーノフによって宇宙遊泳は行われていたので、ホワイトは「最初のアメリカ人」となるけれど、当時のソビエトは秘密主義だったので、その映像が公開されるのは、だいぶ後のこと。今でも多くの人は、最初に宇宙に漂ったのは、ホワイトさんだと思っているかもしれない。
 アポロ計画そのものでは別に船外活動はなかったはずだけど、何度もドッキングや分離を繰り返すので、もしトラブルが生じた場合に必要かも、と考えられたんだろうね。

★ハッチが開いていて、その中にシートが見えます。そこに飛行士は座り続けるわけです。ジェミニは一人に一つずつハッチが用意されているのは、たぶんその狭さゆえ、つまり飛行士は内部で移動すらできなかったのでしょう。三人乗りのアポロのハッチが一つだけです。白い部分はいわば機械船で、帰還時には切り離されます。