宇宙博に行ってきた。その十八

そんなわけで、人類で初めて宇宙空間でトイレとかシャワーとか、食卓テーブル、「スポーツジム」、「健康管理器具」、そしてなにより大事なのは身体をおもいっきり動かすことのできる空間を得たスカイラブ計画は、突発的な事故に対応する船外作業まで行ったわけで、それはまさに宇宙開発史では月着陸に次ぐ偉大な出来事であったと思うのだけれど、世間的にはほとんど注目されることはなかった。
 そもそもアポロ計画自体、13号の事故でいったん話題にはなったけれど、以後の計画は何号まで続いたか、なんて誰も憶えてはいないほど(17号までです)、関心を持たれなくなっていた。
 アポロとソユーズがドッキングするなんていう友好関係をアピールするイベントも、けっきょく宇宙計画の強力なブースターであった冷戦構造の終焉を示す戯画だったといえるだろう。
 それにしても宇宙博でのスカイラブの展示物はショボイ。その辺にガラクタ倉庫から、こんなのありましたよ、と持ってきたみたいだ。もちろんスカイラブはやがて大気圏に突入して燃え尽きたわけで、それらは皆レプリカなのだけれど。
 どーしてそんなにスカイラブは疎んじられてしまったのか。それは費用を徹底的に節約できるという幻想をふりまくスペースシャトル計画に、誰もが魅了されてしまったからに他ならない。この眩惑は以後、とんでもない体たらくと悲劇をアメリカの宇宙開発にもたらすことになる。
 しかし残ったサターン?型を使って、あと二基のスカイラブを打ち上げて、三基を結合させれば、国際宇宙ステーション規模の宇宙ステーションがチャチャとできていたのになぁ。

★ご承知のようにこちらはスペースシャトルの模型。これを使って、私はツレにチャレンジャーとコロンビアの事故がどのようにして起こったのかを説明しました。