宇宙博に行ってきた。その十九

 結局NASAは、マーキョリー、ジェミニ、そしてアポロ計画によって培われてきた技術やシステムのほとんどを、ドボンとドブに捨て(過剰な表現です)、スペースシャトルの夢幻へと歩み始めてしまった。
 ローコストで宇宙開発をやらなくてはならないという冷戦後の条件と、新しいモノへのスケベ心(過剰な表現です)がそうさせたのだろう。
 しかしそのスペースシャトルこそ、NASAの鬼っこだった。何度も使えるその乗り物は、開発費自体の高騰とともに、メンテナンス費用も桁違いに膨らみ、さらにアメリカ宇宙開発史上初めての犠牲者(アポロ1号の三人は訓練中)、それも多く犠牲者を出してしまったのだ。
 何度も使えることは機器の陳腐化とイコールである。個体は疲弊して、技術のバーションアップを阻害する。
 アポロへと続いた過去の宇宙開発は段階的に技術の継承が行われ、あだ花的だが、宇宙ステーションとしてスカイラブで開花した。
 既存のサターン5型や1B型を活用することで、NASAはこのスカイラブ的な地球周回軌道船を発達されることができたはずだ。当然ながら、サターン型ロケットは使い捨てゆえに技術の進歩を反映できる。延長線上によりはより安全で安価なロケットが作られたことだろう。
 しかし今アメリカは宇宙に人間を運ぶ手段がない。1960年代の大いなる遺産はドブの中で、支える巨大産業もない。
スペースシャトルの夢幻は、結局アメリカの宇宙開発を結果的に座礁させてしまったことになる。国家プロジェクトのかじ取りは大きな意味を持つ。
 アポロとそれに続く計画が終わった70年代、いったい誰がその40年後のアメリカに宇宙へ行くすべがないと、想像しえただろうか。

スペースシャトルのコックピット。あの事故のことを思うと、やはり悲しい気分になる。