宇宙博に行ってきた。その二十

 昨日書いたように、2014年の時点でアメリカは宇宙に人間を送り出すシステムを持っていない。月着陸という国家目標を達成して、さらにカタチの上での冷戦の消滅を受けて、そういったなんちゃって国家目標的なものがアメリカには必要なくなったのだろう。数十年前、天下にとどろく宇宙開発大国だったアメリカ、当時の趨勢を知る者にとってはなんともみっともないように思うのだが、これは年寄りのボヤキであり、今の若者たちからはいい意味でそんなナショナリズム的な感覚がなくなっているのかもしれない。
 さて、その1969年に達成したそのなんちゃっての月着陸だけれど、いわばそれは事実としての目的であり、将来の遺跡としてのぐちゃぐちゃしたモノを月面に残してきたが、インフラとしては何も残していない。その点、スカイラブは地球軌道上のインフラとなる可能性を有していた。というか、実際にも致命的な損傷を受けながらも、三度にわたる長期滞在のミッションに対応した。その意味でも最初の宇宙ステーションであることがわかる。もしNASAが世の風向きに抗して、残りの二本のサターン5型を駆使して、スカイラブを連結したカタチでの宇宙ステーションを構築していたら、国際宇宙ステーションのようなものは、1970年代に実現していて、宇宙開発の歴史も大きく変わっていたことだろう。このような姿でこそアポロの財産はインフラとして宇宙に残せたはずなのである。
 ところで、スペースシャトルは当初特に何をやるかあまり定まっているわけではなく、アメリカ独自の本格的な宇宙ステーションという、まだ机上の計画があるぐらいだったのが、国際関係の流れが国際宇宙ステーションの建造の方に向いてくれたおかげで、どうやらその役割を見出すことができた。それも実現したのはスペースシャトルのミッションが始まってしばらくしてからだと思う。もちろん前に書いたようにそれには大きな代償が必要とされたのだった。

スペースシャトル前部の実物大模型。階段を昇って昨日掲載した操縦室を見ることができます。