皆既月蝕拾遺 その五

 今回の皆既月蝕の皆既中は、三脚を立てる労をいとい(重里)、手持ちであんな火星みたいな写真を撮りつつ、こりゃダメだわ、と早々に諦めてテレビなんぞを見ていたが、しばらくしてまた窓から眺めると、月はもうすっかり上ってしまってそこからは眺められない、となるとどうしたわけか俄然撮りたい気分になって、小さな三脚とみすぼらしいコンパクトデジカメを手に、今度は近くの公園に出掛けてみたのだった。
 もちろんレリーズは無し。どこかにあるはずだがもともとこのカメラにはそれは使えない。
 で、挙動不審な初老ジジイに見られないように注意しつつ、三脚を伸ばして、雲台にカメラを据える。そうしている間にも月はどんどんと膨張していく。しかも雲が広がり始め、おぼろ月夜状態に。
 ううん、ミラーアップもできない(そもそもミラーがない)、レリーズ機能がないので振動を抑えることもできない。ただただ月にカメラを向けて、シャッターを押すしかないというのは、なんともつまらないではないか。
 月の上を雲が流れていく。結果、月は顔を出したり、引込めたり、その間にもさらに顔が膨らんでいく。
 その月面のゆるやかなカーブこそ地球の影。一見、いつもの満ち欠けに似ているように見えるかもしれないが、実はまったく違う。それにこそホントは感動すべきポイントなのだ。
 いつもの満ち欠けは光が当たっている部分とそうでない部分の境が明瞭だけど、皆既月蝕は、満月の状態の月に地球の影が重なるので、その光と影の境が曖昧になる。そういった前提で観ないといけない。つまり月蝕はその動きというか現象にこそ面白味があるのであって、一瞬一瞬の月の見掛けそのものは大したものではない。
 例えば月蝕だと知って、一度だけ欠けている月を見上げて、それで足りたりとするのは、大間違いということになる。できれば欠け始めから、また満月に戻るまでを天体が織りなすページェントとしてじっくりと楽しみたい、なんていうことを途中でテレビを見ていた人がいってはいけませんね。

★雲の間から見えた月面の前にはやっぱり薄らとではあるけれど、雲が流れていて、そのようすがいつもとは違う。