アンゲロプロスを先取り

さて、前回書いたマルレン・フツィエフ監督の「私は20歳(はたち)」(Застава Ильича)だけれど、まずはそのオープニングに驚かされる。
 朝の誰もいない街の大通りを革命当時の三人の兵士がカメラの方に向かって、足並みを揃えて近づいてくる。タイトルロールが映し出され、足音が響く。
 やがて彼らはカメラの前を通りすぎ、その頃、革命歌「インターナショナル」が流れる。一瞬、カメラの方を見た三人はそのまま歩き続けて、遠ざかっていく。タイトルロールが続き、やがて彼ら三人の姿が小さくなる。
 遠くの高架に列車が走り、その音で彼らの足音が消えていく。その姿も消えかけそうになった頃、また彼らはカメラに向かって歩いてくる。
 しかしやがて姿がはっきりしてくると、その三人は兵士ではなく現代の若者、しかも一人は女性に見える。彼らはあとから出てくるおおぜいの若者たちと混ざり合い、「聖者の行進」が流れる。やがてカメラは動いて、大通りにつながる階段から昇ってくる若者を捉える。
 ここまでがワンシーンで捉えられている。一つのシーンに革命の頃と現代が混じりあっている。しかしこのシーンに主人公たちは直接は関与しない。
 さて、この場面をアンゲロプロスは見たのだろうか。