月はどっちが欠けている。

 16日の夕刻に西の空を見上げると、月と明るい星がすぐ近くにあった。これだけ明るく輝いく西空の星となると、まず間違いなく金星である。
 そう、当日は日々の天体ショーをフォローしている現役の天文ファンには、先刻承知の金星食の日だったのである。金星食とは月の後ろ側に金星が隠れてしまう現象で蝕とも書く。残念ながら日本からは、月と金星が見かけ上で接近するまでしか見られないが、東南アジアでは「月が金星を食する」ところを観測できたという。
 そんなことは露知らずのリタイア天文ファンの私は、ただ空を見上げて、ちょっと感動したのであった。そして安価コンパクトデジカメで撮ったのが、以下の写真である。もう少し後も撮影したがブレブレだった。カメラの記録によると、撮影時間は上が19時22分、下が19時41分である。バックの空の色もそのままに表現されているが、見比べて気がつくのは金星と月の距離で、一枚目に比べて二枚目はかなり近くなっている。20分もたっていないのに、月と金星はこんなに「近づいている」のだった。
 と書いても、さっき記したようにこれは見かけ上の位置関係であって、実際にふたつの天体が近づいているわけではない。考えてみれば、天体の現象はこの「見かけ」と「実際」に関して、いろいろな誤解や説明不足に直面してきた。
 例えば、どうして月に金星が隠れるかも、月が天球上を移動していると説明しても、「でも月って、星といっしょに動いているし・・・」と返ってきてしまう。などと、さらにわかりにくくなってしまったようだが、つまり月や惑星の動きを理解するためには、地球と月と太陽と惑星、そして恒星の位置関係を、大づかみでもわかっていないとどーにもならない、ということだ。
 例えば「北極星は動かない」という「神話」を知っていることは、得てしてほんとうの理解のさまたげになる。たまたま現在の地軸の北極方向に、北極星と後で名づけられた星があるだけの話で、なにやら「絶対的な星」なわけではない。さらにその地軸の方向は、天文学的なスケールでいうと、極めて早いスピードで動いている。
 さて、この写真を見てトルコの国旗に似ているなぁ、と思ってネットで調べてみた。すると月は逆のカタチ、つまり欠けているのが見た目の左側ではなく、右側の「二十六夜」だった。そして月が欠けた方向に星が一つある。少しおさらいをしておくと、「三日月」は夕方の西の空にある月で、「二十六夜」は明け方東の空の昇る月なのだ。ただこのトルコ国旗の月は、月の満ち欠けというよりも、すっぽりと円が月の中に入っているので、金環食に近いデザインのように思える。もちろん金環食の場合に手前の影の部分が月で、向こう側が太陽ということになる。
 で、問題なのはウィキペディアの表現である。この月を「三日月」としているのだ。確かに広い意味で、新月の2、3日前の月を三日月といったりもする。しかし読んで字の如し、「三日月」は新月から三日目の月なのだ。このことに限らないけれど、別のブログなどでも、そのままの表記がされている。これはチトまずいよね。トルコ国旗の月は、正しくは「二十六夜」、もしくは「三日月形」と記すべきだろう。少なくともウィキペディアでは。
 ドラマなどでも、平気でこの「二十六夜」の月が、夕方のシーンに浮かんだりしている。さらに『1Q84』の二つの月。いったいどのように地球を回っているのか。それが地球の気象や生物に影響を与えないのか、かなり不思議だ。
 そしてトルコ国旗の「三日月」ならぬ「二十六夜」である。現代人は夜明けの空にある月など、ほとんど観ることはないが、太陽とともに暮らしていたかつての人々は、一日の始まりに、ときたま空にある「剣のような月」にこそ、思いを馳せる対象だったのだろう。月とともにある星は、金星ではなく水星だという。しかし水星の公転半径は短く、見かけ上で太陽から離れることはあまりないので、望遠鏡を使ったとしても、それを確認するのは難しい。いにしえの人たちがそれを肉眼で見ることができたのなら、まさに常人の技ではない。
★下の月は光っていない部分も薄ボンヤリと見える。これは地球照と呼ばれる現象で、地球が受けた太陽の光が月まで届いて、影の部分を微かに照らしているのだ。