その日の午後 01

 11日のあの時刻は、自宅の小さな書斎にいた。
 少し揺れを感じて、立ち上がって別の部屋に移動。本棚に囲まれた部屋にいては、それらに潰されるかもしれないからだ。しかし続く揺れは尋常ではない。何も持たずに、ただ靴だけは履いて、外に出る。もう揺れはかなり大きくなっていたので、とにかく非常階段を降りることにした。いままでも大きな地震があったときは、ここを使ったことがあるが、そんなときも1階分を降りるあたりで、ほぼ揺れは収まるものだったが、今回ばかりはそうではなかった。
 どんどんと大きくなる揺れに押されるように、まさに落ちるように下っていった。もう手擦りを持っていないと左右に飛ばされそうだ。10階ほど降りたぐらいからは別の男性が2人、この非常階段の駆け下りに参加してきた。残りが5、6階のときにまた一段と激しい揺れとなる。頭上の重たいものが、今にも崩れ落ちてくるように思えた。
 しかしとにかく1階に着くことができた。私は初めて25階を降り切ったことになる。エントランスから外に出ると、隣のオフィスビルからも大勢の人が出てくるところだった。その流れに乗って、すぐ近くの公園に入る。何度も余震らしいものを感じる。公園の池が波立っている。公園の立ち木が激しく揺れている。
 その時初めてケータイを持参していないことに気づいた。これじゃ誰にも連絡が取れない。余震がひと段落したと勝手に判断して、また階段を上る。しかし数階分だけ登ったところでまた余震があった。そこで留まり、降りるか登るかを考える。ギシギシという音が聞こえてくる。登ろう。また十数階のところで余震がある。足が停まる。半階分降りて、また登る。そうやってどうにか25階に到着した。本棚のものが飛び出しているが、それらをくわしくチェックする余裕はない。ケータイと財布とジャケットとクルマのキーだけを持って、また非常階段に戻った。もう足がいうことを利かない。喉がカラカラだ。
 再び外に出て、ツレや妹や父親に電話するが当然の如く繋がらない。妹には駅の公衆電話から家の電話に掛けて、彼女の家族の無事を確認した。ツレは都心に出かけている。何度かメールをして、あとで問い合わせセンターに繋ぐと、北千住にいるという返事があった。東京の公共交通機関はほとんど動いていない。迎えに行ったほうがいいかとメールして、しばらくしてからセンターに繋ぐと「お願い」とある。
 私はおっかなびっくりな足取りでまたマンションに入り、地下の駐車場に向かった。