迫り来る見えないもの

 今日的な核状況にあって思い出すのは、『見えない雲』(グードルン・パウゼヴァング)という小説だ。
 日本語の初版は1987年、私が読んだのは翌年の88年だった。物語はまだソビエトがあって、ドイツは西と東に分かれていた時代、西ドイツで突然原発事故が起る。その近くに住んでいた一人の女の子は、ひとり状況の中に放り出される。その彼女のその後が、不思議なほど淡々と描かれている。・・・と書いておきながらも、詳しい内容はほとんど忘れてしまった。ただし、当然のことながら、ある認識はしっかり自分の中にある。
 原発ではないが、よりリアルな原像としてあるのは、映画『渚にて』だ。小学生だった私は、戦争映画(事実戦争後の映画だったのだが)と勘違いして、テレビのチャンネルを合わせた。北半球は核戦争で全滅し、偶然に難を逃れたアメリカ海軍の潜水艦が、オーストラリアに寄港する。しかしその南半球にも放射能は迫りつつある。
 静かな描写が小学生には恐ろしかった。あのような状態になりながら、人は冷静でいられるのか。唯一、命に敬意を払わない自動車レースの描写が実際を表現していた。
 確か中学生になってからだと思うが、原作を探し出して読んだことがある。その文庫も、地震のせいで、今は段ボール箱の中だ。
 今日、ホームに入っている父を訪ねると、福島原発からこの映画に話が及んだ。さて彼はいつこの映画を観たのだろうか、聞き忘れてしまった。