舞台「そこのみにて光輝く」について、少し。

 またもや久方ぶりの更新です。
 今日は七月二十日に観た舞台「そこのみにて光り輝く」について書いてみます。ふた月近く前のことなので、間違っていたらごめんなさい、と最初に謝っておこう。文中敬称略です。

 原作は佐藤泰志の同名小説。個人的には『海炭市叙景』や『虹』などが好きなのは、きっとアブラっ気の少ないこれらの作品が年寄りのお腹に合うのでしょう。
 その点でいうと『そこのみにて光り輝く』はまだまだ油分たっぷりで、読後のお腹具合を少し心配しなくてはならないけれど、それもまたぼんやりとした記憶によるもので、読み返せば別の美味に舌鼓となるのかもしれない。
 しかし、今日は芝居の味わいについてでした。
 京王線笹塚駅近くの笹塚ファクトリーで演じられたこの芝居の楽日に、ツレといっしょに出掛けて、開場まで時間があったので、開場前の小さな広場でおにぎりをパクつく。気温は高いが風と蝉の声が心地よかった。
 定刻に入場、階段状に組まれた客席の真ん中の通路を進み、見やすそうな右側の席を確保する。ステージには砂が撒かれていて、上手(観客から右手)には冷蔵庫やテーブルなど質素な居間ともう一つの部屋が設えられ、すべて白か黄土色に塗られている。下手には一段高くなった場所とその壁に二つほどの四角い溝が切られている。全体に色は乏しい。撒かれた砂が砂浜ならば、これらは流木にも見える。

 劇が始まった。通路側から中年の女性が現れる。舞台奥からは彼女を呼ぶ枯れた男の声、女性は声に牽かれるように、あるいは抗うように声の主の方へと歩む。その姿が小屋の中に消えたころ、また通路から、若い女性、千夏が現れる。演じるのは樋口泰子。彼女は舞台の手前で停まり、観客が顔を確認する間もなく、「おかあさん」と彼女が一言いうとライトは消えて、残像のような姿が残る。この演出がすごくいい。
 そして舞台に二人の男、パチンコ屋でライターを貸してくれたことが嬉しくて、小田島信介が演じる拓児は、達夫役の渡邉翔を自分の家に誘う。そこは上手のバラックである。そこで達夫は拓児の姉、千夏と出会う。
 千夏は黒いスリップ姿のままで、二人の男のために炒飯を作る。セットの冷蔵庫から食材を出して、舞台の奥でそれを炒め始める。その匂いが伝わってくる。・・・もしかすると食べ物の匂いのする舞台は初めてだったかもしれない。

 とあいまいな記憶のままにそのすべてを書いていくと、いつもの長文になってしまうので、以下、少し端折る。
 達夫は最近造船所を辞めた。仕事がいやになったのか、組合活動に嫌気がさしたのかはわからないが、後者の割合の方が大きいだろう。彼に活動家でかつての同僚が会いに来る。そしてカビが生えたような組合的文言で説得しようとするが、達夫は無関心のまま。この同僚は陳腐過ぎる。くわえて原作にはない上部構造と下部構造の誤った説明をする。脚本の意図が読み取れない。組合活動の不毛さを際立たせるためか。

 達夫の人となりを表すのが妹との手紙のやり取りで、原作ではただ彼に手紙が届くだけだったが、舞台では実際の妹が現れて、手紙を通して二人の「やり取り」がされる。達夫の心情の温かみをがそこにあった。それが舞台の本筋に厚みを加える。彼女の台詞は他の登場人物とは別の世界から発せられているかのようだった。

 千夏が泳ぎに浜辺へ出るというので、達夫がついてくる。彼女は一人客席の通路の入り口側に設定された海へと黒い水着で向かう。彼女が消えると客席は海となる。彼は海に入ろうとはしない。ただ一人で浜辺に座っている。
 波が砕ける音が聴こえ、濡れた肩をキラキラと光らせた千夏が通路に現れる。「あなたも泳げば! 気持ちいいわよ」、・・・彼女の台詞はこうだっただろうか、その言葉を発した瞬間に、ライトが落ち、光をまとった彼女の姿が消える。まさに「そこのみにて光輝く」である。

 達夫と拓児はいつも煙草を喫っている。それが煙い。ただそれがほぼモノトーンの舞台で唯一の色彩なのかもしれない。この二人を繋ぎとめた煙草の火である。下手にある達夫の部屋には家具さえもない。いやテーブルがあっただろうか。壁に四角の枠がそのまま冷蔵庫であり、彼はそこからまるで茶室のようなしぐさでビールを取り出す。

 達夫と千夏は負を内包している。いや拓児もまたそうなのだが、ここでは二人の間を取り持つ道化役に徹している。達夫は負の中にゆっくりと沈み込むように生き、千夏は負に抗いながら陽に生を見出そうとしている。その二人の足らぬ部分の「適合性」を拓児は、達夫から使い捨てライターをもらった刹那に知ったのかもしれない。そして達夫は千夏のすべてを理解した上で、それを受け入れる。
 ただ最後の二人が抱き合うシーンで、ライトがすぐに消える演出が行われなかったのは残念。あれはただそれを確認すればいいのだと思う。そう、少なくともオジサン的には。

 映画化された作品も劇場で観た。千夏役の池脇千鶴も好きな女優さんだが、ちょっと違うかなと思う。彼女の責任ではなく、どうしても顔が幼いのだ。最初に小説を読んだときにイメージしたのは、黒木メイサだったが、それではあまりに飛び過ぎている。その伝でいうと、樋口泰子は適役ではないか。すでに「婢伝五稜郭」で彼女の演技を観ていて、そのうまさは知っていたけれど、今回はその「女っぽさ」にも魅了されたのである。

途中で「ですます調が」いつものように「である調」になってます。ゴメン。
★写真はチラシから。